堀口恭司選手という総合格闘家をご存知でしょうか?
空手をバックボーンとし、数々の総合格闘技の試合で勝利している選手です。
先日惜しくも逝去された故山本”KID”徳郁選手の愛弟子で、KRAZY BEEの看板選手でもありました。
日本や海外で活躍されていますが、現在の活動の場はどこでしょうか?
堀口恭司選手さんは何歳からどこの流派の空手を習い始め、師匠は誰か、高校時代の成績はどうだったか気になりませんか?
また堀口恭司選手のファイトスタイルとはどのようなものかについても紹介していきたいと思いますので良かったら見ていってください。
堀口恭司選手の経歴
僅か5歳から父の影響で空手を習い始めました。
総合格闘家である彼の空手のスタイルは、極真空手などに代表されるフルコンタクト空手ではなく、意外にも伝統空手(全空連スタイル)だったのです。
伝統空手とは、大山倍達が創始した極真空手、及びそこから派生したフルコンタクト空手以外の空手のことを言います。
形や型を重んじ、伝統的な技術を研究することに重点を置いています。
堀口恭司選手の空手の流派は四大流派の一つである松濤館流空手です。
松濤館流空手とは船越義珍を開祖とし、剛柔流のような接近戦を想定した戦い方ではなく、遠間から飛び込んで一撃で決める戦法を得意としています。
栃木県にある一期倶楽部と言う道場で、今でも帰国すれば子どもたちと一緒に汗を流しています。
この一期倶楽部と言う道場は、堀口恭司選手さんの師匠である二瓶弘宇先生を始め、二瓶竜字、その兄であるナショナルチームメンバーの二瓶卓郎(共に帝京大学空手部OB)などが揃う道場です。
高校時代には、作新学院高等学校の空手部に所属し、群馬県の県大会で優勝しています。
そして、アマチュア修斗の大会にも出場し、しかも全戦全勝です。
修斗とは、初代タイガーマスクの佐山聡が創始した、日本の総合格闘技です。
プロ修斗に昇格してからもその勢いは止まらず、6連勝、戦績も10勝1敗と言う異例の快挙を成し遂げています。
堀口恭司選手の師匠との関係は?
堀口恭司選手の師匠は、二瓶弘宇という先生です。
栃木県にある一期倶楽部という道場で指導されていました。
出典:https://twitter.com/ichigo55ky/status/686161977576558593
堀口恭司選手が中1の時に、兄の薦めで一期倶楽部に入門し、それ以来15年間指導を受けてきました。
二瓶弘宇とは、家族ぐるみの付き合いをしていて、師弟を超えた親子のような関係でした。
しかし残念ながら二瓶弘宇先生は今年7月に癌で逝去されました。
山本”KID”徳郁選手と合わせて2人の師匠が亡くなってしまったということですね。
堀口恭司選手のファイトスタイルについて
堀口恭司選手のファイトスタイルとは一体どのようなものでしょうか?
いわゆる極真空手のように、腹を殴りローで足を蹴ってガンガン前に出て戦うタイプではありません。
なにせ総合格闘技のルールは、顔面なしのフルコン空手と違って、顔面パンチや寝技、関節技、それに倒れた相手への追撃やサッカーボールキックまである非常に危険なルールなのです。
ですから総合はキックボクシングよりも間合いが遠目ですが、堀口恭司選手の間合いは更に遠くなっています。
これは彼のバックボーンとなっている伝統空手によるものです。
フェイントを巧みに使い、行くぞと見せかけて行かなかったり、ノーモーションで遠間から一気に間合いを詰め、強力な突きで相手を仕留める戦い方です。
堀口恭司選手の遠間から飛び込んでの突きは、伝統空手以外の選手からすれば非常に受けづらいです。
伝統空手スタイルの人と組手をやったことがあるという人の話では、巧みなフットワークとフェイントを織り交ぜた戦法に翻弄されてしまい自分が想定していた戦いがなかなかできないということでした。
相手の思うようにさせずに巧みに間合いを操って戦うファイトスタイルなんですね。
まとめ
堀口恭司選手は現在、日本を離れアメリカのフロリダのATT(アメリカン・トップチーム)に所属しています。
日本では、空手、キックボクシング、柔術、レスリングと違う種目を練習するためにわざわざ出稽古しなければいけないという環境です。
アメリカのATTでは各種目ごとにコーチがいて、1つのジムでで様々な種目が練習できるそうです。
そして空手に関しても彼の空手の師匠の二瓶弘宇氏の息子さんが一緒にアメリカに行ってくれるようです。
堀口恭司選手は、9月30日には那須川天心選手との試合が待っています。
アメリカ修行の成果を存分に発揮して試合に挑んでほしいと思います。
天国できっと師匠も見守ってくれていることでしょうね。