海底遺跡のある沖縄県与那国島の謎やオーパーツの可能性を考察

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大分前のことになりますが、あるテレビ番組で沖縄県与那国島の海底にある遺跡が取り上げられました。

その時の映像では、階段や回廊、門などが整然と配置され、柱を立てた跡としか思えない窪みなどもありました。

その有様は、私には自然の産物とは到底思えず、海底遺跡に間違いないように見えたのです。

今回はその沖縄県与那国島の海底遺跡の謎や、オーパーツの可能性、更には古代文明と海底遺跡の関係などを見てみることにしました。

海底遺跡が本当に自然の産物なのかやオーパーツの可能性について考察します。

沖縄県与那国島の海底遺跡の謎

この沖縄県与那国島の海底遺跡は、正式には「与那国島海底地形」と呼ばれるものです。

人工的な加工の跡のように見える巨石が多数あることから、「海底遺跡」という呼称の方が一般的ですが、考古学会などアカデミックな機関では、あまり取り上げられていないようなのです。
m0334m出典:http://find-travel.jp/article/2393

これが自然の造形によるものなのか、人工の遺跡なのかは、現在に至るまで結論は出ていません。

琉球大学名誉教授木村政昭氏による調査では、人工の遺跡とされていて、その理由は以下のようなものです。

道路、石組み、敷石、排水溝などと推定される地形、巨石の組み合わせが存在する。

クサビを打ち込んだような20cm-30cm間隔で並ぶ竪穴跡がある。侵食で形成される形ではない。

周囲を壁面で囲まれた平面が形成されているが、通常の侵食ではそのような地形はできない。

テラス状の地形は、左右対称であり、加工跡をともなっている。

垂直壁面が自然崩落で形成された場合、壁面の直下に岩石片が堆積していなければならないが壁面の直下に岩石片の堆積がない。

などなどです。

これに対する自然地形説は、琉球大学理学部准教授の中村衛氏や元沖縄県埋蔵文化センター所長の安里嗣淳氏らによるものです。

この岩はもともと侵食されやすい種類のものであり、垂直や水平の階段状の部分は、マグマの冷却時に規則的な亀裂が発生し、それに沿って岩石が侵食される「方状節理」という現象で説明できる。

地上にあった遺跡が海没したとする場合、一定期間(数百 – 数千年間)波打ち際で波による侵食を受けたと考えられるが、そのような痕跡は見られない。

地上にあった遺跡が海没したとする場合、一定期間(数百 – 数千年間)波打ち際で波による侵食を受けたと考えられるが、そのような痕跡は見られない。

などが自然地形説の根拠です。

これらの各説は、それぞれ説得力はありますが、お話として面白いのは、やはり古代文明遺跡説です。

つまり遙かな太古に古代文明がここに存在し、実用に供されていたというものですね。

となると、その時代は前回の氷河期が終わって海面が上昇した時であり、最後の氷河期は約1万年前に終わっていますので、遺跡は少なくとも1万年前以上のものの筈です。

この主張は、発見者である新嵩喜八郎氏主催の、与那国海底遺跡博物館のウェブサイトによるものです。

これが事実とすれば、シュメール文明やエジプト文明など5000年前の遺跡より、およそ2倍以上前のものとなり、世界最古の古代文明の遺跡となります。

世界の考古学の常識を覆す大発見であり、世界史が塗り替えられることになります。

正に謎の遺跡であり、オーパーツそのものですね。

この遺跡には、石切場説や中世遺跡説などもあり、これらはこの遺跡は比較的新しい時代の遺跡としています。

およそ10世紀後半から11世紀前半にかけてのものという説なのです。

これが事実であれば、古代文明説は消滅します。

一方古代文明説では、ムー大陸やアトランティス大陸の一部だと言う説までありますが、それが真実ならこれは完全なオーパーツです。

その真実は果たしてどうなのでしょうか。

与那国島の海底遺跡はオーパーツか?

与那国島の海底遺跡では、階段状になった巨大な壁が高さ約25m、幅東西約250m、南北150mに渡って続いています。

しかもその切り口が非常に鋭角的で人による加工を思わせるものがあり、又十字型に刻印のある石版が発見されたりもしています。

外部からの侵入を阻む城門や周囲を取り囲む石垣なども、自然に形成されるとはとても思えません。
13342890070001出典:http://bbs50.meiwasuisan.com/kaiki/1334289007/l50

遺跡東側の海底には、「太陽石」と名付けられた自動車ほどもある巨石が置かれていて、台座のようなものがあり、その近くには線のようなものが何本か刻まれています。

これらも何かの実用的な用途に使われたのではないでしょうか。

このように見てきますと、この沖縄県与那国島の海底遺跡は、私にはやはり人工の遺跡のように思えるのです。

もし人工の遺跡であれば、残る問題はその年代です。

本当に1万年前のものならば超古代文明の遺跡であり、それは確実にオーパーツと言えるでしょう。

この謎が解決されるのは、果たして何時になるのでしょうか。

まとめ

遺跡というものは、なにか夢のあるものですね。

この遺跡での人々の暮らしはどのようなものか、又そこに住む人々は何を考えていたのだろうか、そのようなことを想像すると、時の経つのも忘れてしまうほどです。

しかもこの沖縄県与那国島の謎の海底遺跡は、もしかすると人類最古の遺跡、つまりオーパーツなのかもしれません。

それが証明されれば、世界的な大発見であり、世界史は塗り替えられることになります。

以上、今回は海底遺跡のある沖縄県与那国島の謎や、オーパーツの可能性を考察してみました。

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コメント

  1. 匿名 より:

    エジプトでもスフィンクスは科学的にみても、スフィンクスの近くにピラミッドを作ったという古文からも定説より遥かに古いことは確実でしょうね。
    有名ではないし都市遺跡ではないけどトルコのギョベクリテペ遺跡は1万1千年以上古いことが確実。
    マルタ島の地下遺跡は新しくて5600年、最大で1万年以上古いという見積もりもあります。
    日本でも東北から北海道にかけて1万年前の漆塗りの器が出土しています。
    いまの考古学的な定説(=過去の常識の延長線で権威に反しないように新しい事実を理解しようとするもの。天動説)では測れない事実が日の目を見ないであちこちに埋もれているのかもしれませんね。

  2. 匿名 より:

    途中の写真、神殿みたいなやつ、与論島のダイバー用の観光スポットのやつですよね。
    このサイトを見た方達は、誤解しないように・・・