尾畠春夫さんというボランティア活動をしている一般人の人が警察が2日間探して見つからなかった行方不明になっていた2歳男児を捜索20分足らずで発見したということが話題になっています。
さらにはその尾畠春夫さんは実はすごい人だったことが経歴などが明らかになっており、すでにボランティアで表彰歴もあるという人だったようです。
そんなすぐに行方不明になった2歳男児を発見した発見方法や表彰歴もあるということでどんな人なのかについてもちょっと紹介したいと思います。
尾畠春夫さん2歳男児発見方法は?
警察が2日間かけても発見できなかった行方不明になっていた2歳男児をすぐに見つけてしまった尾畠春夫さん。
尾畠春夫さんがいなければ2歳男児の子が足を滑らせたりして大けがをして命を落としてしまったり、そのまま見つからずに餓死してしまっていた可能性だって十分にあります。
ですので今回の救出劇は本当にすごいことだと思います。
山口県周防大島町で行方不明になっていた2歳男児の子がいるというニュースを広島のボランティアが終わったあとにニュースで知った尾畠春夫さんが居ても立っても居られないと隣の県から捜索のボランティア活動として参加しました。
そして家族から現場のことなどを聞き、「絶対この上にいるなと確信した」ということです。
見つかったのは家族から離れて700メートルも登った山の上だったということです。
家族の話から子供が海に行くのをグズっていたことや子供がなぜか上へ上へ登っていく習性があることを知っていた尾畠春夫さんが2歳男児の名前を呼びながら探していると「おいちゃん、ここ!」と声が返ってきて発見できたということでした。
実は尾畠春夫さんはボランティア活動歴25年で表彰歴もあるすごい人だったということですごい話題になりました。
実は前にも行方不明の子供を救出していた?
実はびっくりなのですが2年前にも尾畠春夫さんは大分で行方不明になっていた2児の女の子の捜索活動に参加していて無事発見した経験があり、表彰歴があったんです。
今回尾畠春夫さんがすぐに行方不明になった2歳の男の子を発見できたのは偶然ではなく、今までの経験の知恵があったからこそだったんですね。
ボランティア活動は25年という長い経験があり、ボランティアの若い人からは師匠と呼ばれるくらいのベテランボランティアの人でした。
尾畠春夫さんは40歳で登山を始め、58歳で北アルプス55山を単独縦走し、そのころからボランティアで登山道の整備を始めて月に7~8回も30~40キロの材料を持って登って案内板などを設置していたということです。
66歳で尾畠春夫さんは営んでいた鮮魚店を閉め、鹿児島県の佐多岬から北海道の宗谷岬まで日本列島を徒歩で横断する旅に出て全行程3250キロを達成しています。
2004年の新潟県中越地震の被災地でもボランティア活動で計500日もの支援。
そして2011年の東日本大震災では3月から宮城県南三陸町でボランティアで被災地で思い出のあるものを探して欲しいと依頼されて「思い出探し隊」の隊長を務めます。
熊本地震では、熊本県益城町でボランティア活動で多くの助言をしたりと活躍しています。
「学歴もない何もない人間だが、65歳で鮮魚店を辞めて、残りの人生を社会にお返しさせてもらおうと思ってきた」と今回の2歳男児の救出時のインタビューで語っています。
こんなすごい人がいるのかとびっくりしましたね。
最後に
行方不明になっていた2歳男児を見事救出したボランティア活動をしている尾畠春夫さんについてでした。
夢は100歳で祖母山登頂で、ボランティアも力が続く限り行っていくと本当に信じられないほどのすごい人でした。
こんな人がいるのかとびっくりしましたし、この人の経験や知恵などを今後さらに吸収していけるような体制を作っていって欲しいなと思いました。
現在78歳ということですが、まだまだ元気でこれからも頑張っていくということですので応援したいなと思います。